今、心の色は何色だろう。

怒りや悲しみや不安はなくなることはないけど、一つでも笑顔が増えるように。
少しでもほっとくつろげる時間が増えるように。

[いつもどおり?]

白石はシフト表を眺めてため息をついた。

カレンダーなんてなくなればいいのに、と言いたくなるのは年末年始だけではない。

「白石先生」
「んー……、はい」
「眉間にしわが寄ってますよ?」

くすくすと笑いながら、看護師長の八木が目の前に立った。
彼女は、今年になってから異動で救命にきた一人だ。

今年は。

そう、今年は今までにない、一年だったから。

軌道に乗っていた白石の作った救命チームも、幸か不幸か。
チーム制をとっていたからこそ、この難局にもとても有効に機能している。

各チームに専門家をいれて、どんな状況の患者さんの受け入れでも対応できるように。

だからこそ、こういう時のシフトづくりは頭が痛い。

「八木さん。八木さんのお嬢さんたちは今どうです?上のお嬢さんは国家試験だって言ってましたよね」
「そうなの。できるなら一回で通った方が楽よって言っておいたんだけど」
「それ、お母さんに言われたらプレッシャーじゃないですか?」

八木には三人娘さんがいて、一番上の娘さんは大学に通っていて看護師さんを目指しているらしい。
下のお嬢さんはまた畑違いの分野を目指していて、一番下の娘さんは高校生。

「そのくらいでプレッシャーを感じていたらこの先やっていけませんでしょ」

あっさりそういう八木は、ベテランの看護師だ。前は緩和ケアの病棟を担当していてどんな場面でも落ち着いているので、若手たちの空気を柔らかくどっしりと受け止めてくれる。

「だからね。白石先生も考えすぎないこと。この時期だから休みたいと思えば皆さん自分で言いますよ。そうじゃなければ気にせずシフト組んじゃえばいいんですよ」
「……わかってるんですよ。わかってるんですけど、でも、少しでも家族のいる方はお休み取れるようにしてあげたいじゃないですか」
「そうですか?だって、うちなんて、さっき話したみたいに上の娘は国家試験の勉強だし、真ん中の娘が家の中のことやってくれていて、下の娘はずーっとアルバイト。そんなものですよ?」

ぽん、と肩を叩いて離れていく。

「それより、白石先生はどう過ごすんですか?」
「どうって……」

答えを言う前に一人になった白石は、自分がどう言おうとしたのか首を傾げた。

「ねぇ。名取先生は、年末年始どうしてる?」
「僕ですか。シフトまだ出てないんで、決めてませんけど。まあ……、休みがあればライブいって、あとは……、まあ、そんな感じです」
「そっか。ごめん。早めに出すね」
「はい。白石先生はどうされるんですか?掃除したり、おせち作ったりとか?」

はい?!おせち?
掃除?

ぱっと変わった白石の顔を見て、笑いを堪えた名取は横を向いて口元を押さえた後、ダメ押しに呟く。

「そういえば、雑煮とか、家によって違いますよね。うちは関東風ですけど、藍沢先生のところはどうなんですかね」
「えっ?!」

白石が振り返ったときにはいつものようにスマホをいじりながらすたすたと離れていく。

「……お雑煮」

白石は入力しかけていたドキュメントに思わずそのまま『お雑煮』と打ってしまった。

 

くるくると髪を指に絡めながら歩いていると、廊下の片隅のソファに足を投げ出して座っている藍沢に飛び上がった。

「え?えぇっ?!」
「なんだ」
「あっ!えっ、いえ……。あ、あのっ!藍沢先生は年末年始、どう過ごされるんですか?」

何か話さないとと、ひねり出したのがそんな話題で。
藍沢本人はただ見上げただけなのだろうが、横峯にとってはじろりと睨まれたようで、いまだにすくみ上ってしまう。

「や、やっぱりいいです」
「……」
「……すいません」

仕事をしてるのが当たり前だろう。
お前に関係ない。

そういわれるだろうと思いながら、足がもつれるように離れようとした横峯にぼそりと声が聞こえた。

「部屋の掃除と、買い出しと……。あとは家にいる」
「あ……。なんか、意外に普通、なんですね」
「普通ってなんだ……。お前はどうするんだ」

ただ、質問に答えるだけじゃなくて、返された問いかけに目を見開いてから笑顔が浮かんだ。

「私は、ドラマの一挙放送とか、ためてた録画とか見まくろうかなって。友達と、つなぎながらせーの、で再生するんですよ」
「……それは面白いのか」
「そりゃあ、きまってるじゃないですか。せーので始めてもちょっとずつずれるんですよ。それがまた面白いんですってば」
「そうか」

投げ出していた腕を膝の上について、ゆらりと立ち上がる。

「休みの日くらい仕事を離れてリフレッシュしたらいい」
「はいっ」

藍沢が離れていった後、このところ、少しはこんな会話ができるようになったことが嬉しくて、横峯は一人、笑みを浮かべて弾むように歩き出した。

 

[いつもと違っても]

「じゃあ、名取先生はおうちには帰らないんだね」
「家に帰っても手伝わされるだけだし、うちでも受け入れしてるから何かあったら困るだろ。お前こそどうするんだよ」
「僕?僕は家にいるよ。たくさん本読もうと思って」
「ふうん」

確かに灰谷なら家から出ずに医学書に埋もれていそうだ。そして心配しすぎなくらいだけに、少し外に出てもきっちり仕事場と同じようにすごすだろう。

そして、毎度のごとくスマホを手にしている名取もなんだかんだと言いながらも、大人しく過ごすだろう。
俺は違う、という体だがそんな名取に、くすっと笑う。

「なんだよ」
「ううん。あのさ。もしよかったら一緒にお餅食べようか」
「はぁ?」
「僕、最近、料理習ってて、料理するんだけど。おせちとかは無理だけどお餅焼いてさ。色んなもの挟んで食べるとおいしいよ」

なんでお前と、と顔を背けた名取にポケットから携帯を取り出した灰谷は一枚の画像を見せた。

「これ。僕の先生と一緒に撮ったやつ」
「はぁ?……えっ」

作った料理を一緒ににっこり映っているのは灰谷とどこかで見た事のある料理人である。

「は?何、お前何やってんの?」
「え。何って料理習ってるんだよ?」
「……」

何かを言いかけて、ぱくぱくと口を動かした名取は取り上げた携帯と灰谷の顔を見比べてから、大きくため息をついた。

「……わかったよ。連絡しろよな」
「うん。する」
「ちゃんと事前に言えよな」
「するよ。ちゃんとする」

まるで子供のように、何度も連絡しろ、わかった、と繰り返す。いつの間にかお互いに笑い出していて、今は半分顔が見えないのにお互いに笑っていることがわかって、ますます止まらなくなる。

怪訝そうに二人を見ている看護師たちの間を縫って、白石が近づいてきた。

「名取先生、灰谷先生。年末年始のシフト組んだから、みんなにも伝えてくれる?」
「わかりました」
「あと、みんな休みの間も」

十分に気を付けて。

そう言いかけた白石に向かってそれぞれから手が上がる。

「わかってます」
「それも一緒に伝えます」
「……はい。よろしくね」

そして、シフトを見て互いに顔を見合わせる。

「やるかー」
「そうだね」

白石らしい、心配りが読み取れる。
シフト表をもって二人は歩き出した。

二人にシフト表を渡した白石は、携帯を取り出してアプリを開く。

『シフト、決めたから』

送った後、少し待ってしまうのは習慣だ。
すぐに既読が付くときはまれで、タイミングがいいときだけでなかなかそうはいかない。

画面を切って、ポケットに入れたとき、マナーモードにしていたから気づかなかった。

『わかった。帰ったら聞く』

既読がつかないことを確かめてから藍沢は携帯を置いた。
ロッカーで着替えを済ませて、ブルゾンに腕を通す。

今年は比較的、まだ温かい。だが、年末から年始にかけてはひどく冷え込む予報だ。もう一度アプリを立ち上げて、車を使うと連絡してからエンジンをかけた。

確か、家にはここ数日あまり買い物をしていなかったから食材が少ないはずだ。
何を作るとしてもいいように、少し多めに野菜や肉を手に取って。

レジに向かう手前で、ふと足を止めた藍沢は二個入りのショートケーキを手にした。

きっと帰ってきて、どうしたの?と聞かれるだろう。
甘いものなんて好きじゃないのに、と。

「……俺だってたまには食べることもある」

一人つぶやいて、荷物を車に積み込んだ。

今年も、あと数日。
自分たちの仕事は、明日どんなふうに過ごしているかなんてわからない。

わからないからこそ、小さな約束を積み上げよう。叶わなかったらまた次を見つけたらいい。

キッチンのカウンターに置いた携帯が振動で鳴った。

「……早いな」

急いで冷蔵庫に入れるものだけ片付けて、車のキーを掴んだ。
朝と同じ道をたどって、薄暗くなり始めた空の下で、車を走らせる。

迎えに行く。
面倒じゃないのかといわれる時もある。

だが、藍沢にとっては少しも苦ではない。むしろ、楽しいといえるかもしれない。

こんな思いがあることも今は嬉しことを時々は伝えるようにしている。

明日も、来年も。
ちゃんと伝えるために。

 

— end

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