ココロ模様

「ね、行かない?一緒に」
「俺?」

きゃはは、と笑う声が周りにはあふれていて、その姿は皆ありふれた大学生に見えた。

「颯馬ぁ、行こうぜ」

呼ぶ声に振り返った名取はひらりと手を挙げた。

「やめとく」
「なんだよ。付き合い悪いな」
「そう?」

ふらっとその場を離れた名取の後姿を見て、同級生たちは冷ややかな目を向けた。

「あいつ、軽いけどさ。ほんと、……わりぃわ」
「しょうがねぇよ。俺たちとは違うって言いたいんだろ。なんったって総合病院の息子だからな」

その冷ややかな口調からすると、同級生といっても決して仲が良いというわけではないのがわかる。
集団にいた女子が一人、名取の後姿を追った。

「ねぇねぇ」
「何」
「名取君、たまにはみんなと一緒に……」

携帯をいじっていた名取が足を止めて顔をあげた。
顔を見てもすぐには名前が思い浮かばなかったが、その持ち物を見てようやく思い出す。ブランド物のバッグと、品の良い服装も小物も金がかかっていることはわかる。

「一緒に、何?」
「あの……、ほら。交流っていうか、付き合いって大事じゃない」
「なんで?」
「なんでって……」

名取とそう身長の変わらない女性に向かう目は淡々としている。バッグの持ち手を握りしめた女子学生、佐野美保は困ったように笑った。

「だって、学生の間って時間少ないじゃない。卒業したらばらばらになっちゃうし、そうしたら」
「そういうもんでしょ?学生だから何なの」
「そんな……、寂しくない?そういうの。彼女も作らず、友達も少ないよね?」

美保は、個人病院とはいえ、地元でも大きな病院の跡取り娘だ。名取を含めて、大学のいくつかの集まりの中でも、二人の周りは金持ちの子供たちが多い。

「友達?それさ。あいつらも俺らも、仕事で関わるようなことある?佐野は関わることがあるかもしれないけど?俺にはないよ?ああ、それとも、俺があいつらを雇うとか?それならあるかもね」
「名取君……」
「ああ。悪い。言いすぎた。気にしないでいいよ。わかりきってることだったよね」

成績は優秀。
家格もいい。
見た目も悪くない。

時々、口が悪い。
妙に冷めている。

最期の二つを除けば名取は同級生にもてる要素も、妬まれる要素も盛りだくさんだ。

曖昧な、意味のない笑顔が美保の顔から消える。

「名取君、ほかのみんなにはそんな事いわないわよね。どうして?」

どうして私には。

だるそうに首を傾げた名取は、携帯の画面をちらりと見てからもう一度顔をあげた。

「……そうだね。ごめん。悪かったよ」
「違うの。謝ってほしいわけじゃなくて……。名取君が」

名取君がほんの少しでも本音を話してくれるのはなんでかって。

本当はそういいたかった。誰かと特別親しくしていることもなく、ゆるりとグループにいるようでいない。
そんな名取が少しでも美保に本音を話してくれているなら。

高そうなスニーカーで地面を蹴る。

「佐野はさ。親に言われて医者になったんじゃないの」
「……私?私は……自分でなりたいと思ってるよ」
「へぇ……」

ほんの少し驚いた顔を見せた名取は何度か頷いた後、踵を返して歩いて行ってしまった。
取り残された美保が何を言いたかったのか、名取にはわからない。

今の名取にとって、大学は免許を取るために必要であり、この道に進むことになった瞬間から、名取颯馬の名前は自分だけのものではないのだ。同級生も将来、名取がいい医者であり経営者になってから必要になるかもしれない相手、くらいなものだ。
適度に遊んではいるが、とても彼らと同じではない。

冷淡なくらいにはっきりと線を引いているのは名取の方からだ。

時々、美保がこんな風に昔の学級委員よろしく話しかけてくるくらいで、皆も敏感にその線を嗅ぎ取っている。

「面倒くさいんだよ……」

気が向けば遊ぶこともあるが、今の名取には必要ではない。
一人つぶやいた後、父の病院へと向かった。

普段、父から連絡が来るのは仕事がらみのことしかない。
プライベートで名取に連絡をするなど、あの忙しい父がするべきことではないし、そんな暇があるなら会食なり、愛人の元にでも行っているはずだ。

だから、携帯の着信に父の名前があったとき、名取は身構えたのだ。

最近は、フェローも何とか卒業し、まだまだ腕を磨いている最中ではあるが、翔北救命の同期の中では一歩踏み出しているはずで、父から何か連絡が来るのは心当たりがなかった。

「もしもし」
『颯馬か。私だ。今、少しいいか』
「急に何かあったんですか。じゃなきゃ、あなたがわざわざ僕に電話なんてしてこないでしょう」

電話の向こうで呆れたように笑う声が聞こえた。

『そう構えるな。緋山先生が周産期医療センターに移ってから、どうしているかと思っていたが、頑張っているようだな』
「相変わらず、気にはしてるんだ。俺のこと……」
『当たり前だ。親だからな。ところで、お前、次の休みはいつだ?』
「急に……。本当に何?気味が悪いんだけど」

休みの予定など今まで一度も……。

身構えてしまうのを通り越して、これは何があるのかと不気味にさえ思う。

『私は、そんなに信用がないかな?緋山先生の指導で少しは視野を広く持てるようになったのかと思ったが……』
「指導医は緋山先生だけじゃない。それに視野が広くなることと父さんのことは別でしょう。……とにかく、今まで聞かれたことがない事を聞かれたら誰だって驚くに決まってる」
『確かに、今までお前を食事に誘ったことはなかったからな』
「……食事?」

無意識に両足に力が入る。

名取の緊張を気づかないのか、電話の向こう側は淡々としていた。

『来週、木曜だ。夜、迎えをやる。それでいいな?』

休みはいつだと、聞いておいて来週の木曜という。
きちんと休みを把握したうえでの連絡だったのかと奥歯をかみしめた。

「結局、僕に拒否権はないんだ。そういうことでしょう。休みを聞いた意味があるの?」
『どういったって、お前は気に入らない。そうだろう?』
「……わかりました。用はそれだけなら切るよ」

どうせ返事など期待していないだろう。通話を切った名取は、大きく息を吐いた。

不愉快さは今に始まったことではない。腹を立てても仕方がないのだ。

今までだってそうだった。
そう。そうやって仕方ないと諦めてきた。

諦めて、自分の感情のコントロールをして。

「名取先生?」

はっと顔をあげると白石が怪訝そうな顔で名取を見ていた。

「どうかした?顔色悪いけど」
「……いえ。なんでも」
「……そ。ならいいけど」

じっと名取を見つめてから白石は一つ頷いて去っていく。その後ろ姿を見ながら名取はほっと息を吐いた。

 

それから一週間。名取はことあるごとに、父親に呼び出されるわけを考え続けたが、どうしてもこれというものは思い浮かばなかった。
少しかしこまった格好でジャケットを羽織ったところにインターフォンが鳴る。
父の差し向けたハイヤーに乗ってそのまま店に向かうのかと思ったが、途中で車は止まった。

「ひさしぶりだな」

父を乗せてハイヤーが走り出す。そうしてようやく店に向かうらしい。

「……そうですね」

並んで車に乗ることも久しぶりすぎていつ以来なのか思い出すこともできない。
ただ、その状況に息が詰まりそうで窓の外に視線を向けた。

「今日はどこへ」
「ふむ。たまには和食もいいだろう」

そうですか、ということもない。どうせ名取の希望など聞かれることはないからだ。
そのまま車は有名な和食の店に着いた。

予約をしていた個室に通されると、膳の用意に名取は足を止めた。

「どうした。座るといい」
「……どういうことですか?誰がほかに来るんです?」
「……ああ。先日、講演会で知人に会ってな。話を聞けばお嬢さんはお前と同窓だというじゃないか」
「同窓?誰のことを言ってますか」

堂々と上座に腰を下ろした父は眉を潜めた名取を見上げた。

「佐野クリニックの佐野院長とお嬢さんだ」

それを聞いて名取はようやく、この食事の意味が分かった。
要するに、体のいい見合いという事だろう。

「……どういうつもりですか」
「何がだ」
「あなたはまた僕に……っ!」
「もうすぐ、お二人がおみえになるだろう。みっともないから座りなさい」

みっともない?
みっともないって何?

長い間、蓋をしてきた感情を思い出すような瞬間、名取はストン、と腰を下ろした。

「そうですね。僕の話なんて聞いてもらえるわけがないって今までも十分理解していたのに久しぶりすぎて忘れていましたよ」
「お前も相変わらずだな。いい加減、頭のいいお前らしく、皮肉ではないことも口にしたらどうだ」
「すみません。皮肉だと思われるようなことを言ったつもりはなかったんですけど」

皮肉じゃない。
単なる事実を口にしただけだよ。

もう諦めることも慣れているはずなのに、本当に、久しぶりだったからか、翔北のメンバーに慣れすぎたからか。
指先のささくれのようにちりちりと心に引っかかる。

こんな時、緋山だったら話を聞いてくれただろうか。

ブラックのコーヒーにミルクを流し込んだような。
そんな名取にかまうこともなく、父は仲居の運んできた食前酒に手を伸ばす。

そこに佐野親子が到着した。

親同士の挨拶の間、子供は口をはさむことはない。
張り付いたような笑顔のまま、挨拶が終わって、酒に手を伸ばすのを待つ。

食前酒は、酒と言っても一口ばかりで、父親たちは違う酒を飲み始めたが、名取も美保もソフトドリンクを頼む。

「なんだ。お前も飲まないのか」
「……ええ」

そんなやり取りに、佐野の父が口をはさんだ。

「ご子息は救命救急医だそうですね。大変でしょう」
「まだまだ勉強中の駆け出しですがね」

わかっているとばかりに父が先に受け答えするのも、もう腹を立てるのもばかばかしいくらいだ。

これは体のいい、見合いなのだと思うと、どうして美保がここにきたのかと顔をあげた。

食事も進み、親同士の話が続く中で、名取は明日も早いのでという、美保を送ることになって先に料亭を出た。

「佐野、実家出てるんだ」
「そうよ。実家から通うのは無理だもの」

お互いに、病院の近くに住んでいることを話しながら、並んで歩く。最寄り駅まででいいと美保が言ったからだ。

「まさか、研修もそのあともずっと実家の病院ていうのだと思った?」
「まあね。やっぱりそういう話出るだろ」

お互いに、いずれは実家をという話が出るのだから外に出て経験を積んでくるか、早々に実家に入って慣れていくかの二つに一つのことが多い。

「翔北の救命なんてすごいね。フライトドクター大変でしょう?」
「まあ……。なんでも大変は一緒だろ」

そっけない名取の口調にふっと隣で笑う声が聞こえた。

「……変わりないのね」
「え?何が」
「ううん。私、今日名取君に久しぶりに会えるんだったらいいかなって思ってきたのよ?」
「……こんな親のかってな見合いに?」

そう。
見合いでもなんでも。

久しぶりにどうしているかと会ってみたかった。

そういわれて、怪訝そうに名取は隣を歩く美保を見た。

大学の時、名取の周りは優秀で、だいたいが二世の連中が集まっていた。いずれ見えている将来に飽きてそれでも目指している医者の姿がそれぞれあって、そのジレンマに押しつぶされないように必死で表面を取り繕っているような、そんな仲間たちの中で、美保はどちらかというと、あまり目立っていたわけではない。

ただ、時々名取がその中でも一人離れていくときによく声をかけていた。

それくらいの印象しか残っていないのに、美保はどうやら違うらしい。

「別方向だから駅で十分だからね。うちの父にも適当に言っておくわ」
「助かるよ」

お互い、住んでいる駅までは遠い。
近くの地下鉄の駅について改札まで降りたところで、美保は足を止めた。

「名取君」
「ん」

顔をあげると、すっと封筒を差し出された。

「今どき、アプリとかメールが普通だけど、私、よく病院でも手紙書くの。だから名取君にもかいてきちゃった」
「手紙?」
「そう。あとで読んでね。じゃ」

お先に、と改札を抜けて地下から上がってくる空気に慌てたようにホームに降りていく。

残った名取はその封筒をポケットに入れて、だるそうに改札を抜けた。
マンションに戻って、堅苦しい服から部屋着のスェットに着替えて、ポケットに入れていた手紙を取り出す。

白い封筒に薄ら模様が入っていて、名取君へ、というきれいな文字が書かれている。

「……俺は患者かよ」

三角の端だけを止めていたらしく、隙間に指を入れると簡単に開いた。女性らしい、封筒と同じ柄の便せんを開く。

『名取君へ

親たちがなんだか勝手に話を決めてきたのですが、久しぶりに名取君に会えるならそれもいいかと思い、行くことにしました。
きっと、名取君は、不機嫌そうに少し嫌味を言いながら、それでも来るのかな。

お互い、近況は何となく耳に入ることもあるとおもいますが、最近の活躍、噂には聞いてます。

やっぱりなぁ、という気持ちで本当は誰かに言いたくて仕方がなかった。
大学のころ、名取君はいつもみんなといるときもつまらなそうで、何をやっても器用で成績もよかったのをおぼえています。
でも、いつも真剣だった。

バイト先の病院で、一生懸命シミュレーターを使って練習していたり、いつもいじってた携帯にはたくさん、メモ代わりの写真撮っていたのを実は知ってました。

だから、きっと今も名取君はあの頃と変わらず、ジレンマを抱えているんじゃないかな、なんて勝手に想像しています。
でも、私から見たらきっと名取君が思っている以上に、あなたは医者に向いていると思います。

そんな名取君の同級生でよかった。
機会があったらまた今度、飲みにでも行きましょう。親の話は抜きで。

連絡先、書いておきます。』

たいして長くもない手紙を読み終えて、そのままベッドに寝転がった。

「……なんだよ」

同級生の卒業後の話は耳に入ってきても興味がなかった。
だから、聞いても気にも留めなかったし、そもそもだからなんだとしか思ってもいなかった。

……知られていたとは思わなかった。

今さらなんだということもない。

なんだよ。
ナンダヨ。

携帯を手にして、手紙に書かれていた連絡先にメッセージを送る。

『佐野。手紙読んだ』

なんなのかと。文句の一つでも言おうかと思った。
勝手に推測してるんじゃない、と。
余計な事を言うなと。

そう送るつもりだった。

『今度の休みが分かったら連絡する』

いんじゃない。あんた、そういうほうがアンタらしいよ。

どこかで緋山の声が聞こえた気がした。
親鳥に刷り込まれたヒナでもあるまいに。

まあ、こういうのも悪くない。
悪くないと思えるようになった。

もっと馬鹿みたいにまじめで仕事に真摯に向き合って、真剣な人たちの傍で過ごした日々は名取の中で何かを変えたらしい。

連絡を待っているという返信を見て、起き上がった名取は美保の手紙を封筒に戻すと引き出しにしまった。

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