フォグブルーのシャツと香り

どちらかが遅いか、両方とも遅いか。
一緒に暮らしているとこういうことが多い。

一緒に早い、はたぶん一番可能性が低い。

いくつになっても、というか、年数がたてばたつほど、会議や研修から解放されると思っていたが、実際はその逆で、日々の現場も忙しい上に会議や研修も重いやつが増える。

県外まで足を伸ばして、帰ってきたのも一番先に足を向けるのは病院だ。

ロッカーに荷物を押し込んで着替えや家で読むための資料だけをまとめなおしてから、ようやく家に向かう。

白石が帰ったのかどうかは、病院の裏手に車がなかったことでもういないと踏んでいる。
帰ることは連絡してあるわけで、ささやかな土産も手にしているからあとは帰るだけだ。

荷物を押し込んだバッグと、土産の紙袋を手にし直して、更衣室を出た。

さすがに夜になれば、すれ違う人も少なくて、脳外はほとんど人がいない。宿直の看護師が遠目に藍沢を見かけて、ひらひらと手を振ってきたのが見えた。
軽く頭だけを下げて、裏手の警備室の前を通って病院から出る。

一昔前なら、まだ世の中も宵の口と言われる時間だが、いつからというのもおかしいくらいはっきりと今は人通りも車通りも減った。
それが正解だとわかっているが、こうして夜に外を歩くと、毎度のようにそのギャップを感じてしまう。

まるで深夜のような街の中を歩いて家に向かう。

タクシーを捕まえるまでもなく、少し歩けばすぐにつく。駐車場に止まっている車を横目で捕らえて、マンションに入る。

こじんまりしているが、セキュリティはそれなりなマンションの一階で鍵を使って自動ドアをあけて、中に入った。

エレベータで上に上がると、開いた先にまばらな光と遠くの方にきらめく光を見る。

夜遅くに帰ってくるとこの光景が一番先に目に入るの。
意外と気に入ってるのよ。

これを見てしまうと、いつも自動的にその声が頭の中に蘇っていることは今まで一度も話したことはない。
とりたてて言う事でもないし、何より気恥ずかしいからだ。

すっかり慣れた部屋の前でドアをあけて、部屋に入る。明らかに外の空気とは違うものが出迎えられて、そのまま奥の部屋に向かった。

―― 静かだな。

全く何の音もしないことから、おや、と思いながら部屋に入ると、家主の姿がない。ぼんやり酒でも飲んでいるのかとおもって部屋に入った藍沢の予想は思いがけない方向に外れた。

「……」

ソファの周りには洗濯物が畳まれていて、洗い終えたものを片付け終えたところなのはわかった。

そーっと離れた場所にバッグと紙袋を置いて、もう一度ソファの傍に戻る。

「……お前は何をしてるんだ」

小さく呟いた藍沢は口元に手を当てた。
それを見る人がいなかったことが幸いだと思う。

洗いたての藍沢のシャツに、藍沢が使っている香水をつけて、それを握りしめたままソファの上で白石は眠っていた。

めちゃくちゃ恥ずかしい。
恥ずかしくてたまらないのに胸が苦しい。

足元に崩れるように床の上に膝をついて、気持ちよさそうに眠る顔を見る。

眺めていると、日暮れの太陽のようにゆっくりと感情が変わっていく。朱に染まるような恥ずかしさから、ゆっくりと落ち着いていけば潮が引くように気持ちが凪いでいき、残った感情をもてあましそうになる。

立ち上がって、キッチンでお湯を沸かしながら足音をさせてソファに背もたれ越しに近づいた。
頭をくしゃっと撫でて軽くたたいた。

「……んん……?」
「お前、何寝てんの」
「……あ、おかえりなさい。ちょっと横になっただけだったのに寝て……」

起き上がった白石は、自分が握っていたものを見て慌てて周りを見て思い出す。慌てて立ち上がると、洗濯物よりも先に掴んでいたシャツと香水の瓶をさりげないつもりでアタフタ片付けた。

「何」
「いやっ!何でもない、そう!なんでもないよ!あのー、ほら、お帰り!まだ言ってなかったもんね」
「……ただいま」
「あ、あ、お茶、入れようか。私淹れる。うん」

自然を装って、不自然になっていることがおかしくて、面白くて、結局の処、愛おしくて荷物をとりに向かうすれ違いざまに腕を回して一瞬だけ、抱きしめた。

「えっ?どうしたの」
「いや、なんでも」

仕事や用がなければ滅多に使わない藍沢の携帯のカメラで撮った写真は、小さな秘密である。

—end

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