仕事中の電話は滅多に出ることはない。
だが、珍しくほっと一息ついたところだったので、迷わずに携帯に出た。

「もしもし?」
『ちょっと!アンタ、藍沢と別れたの?!』

携帯越しの声の大きさに眉をしかめて携帯を耳から離す。
携帯にうつった画面をまじまじと眺めてからもう一度耳に当てた。

「……そうだっていったらどうするの」
『ちょ、……藍沢出しなさいよ』
「あのね、一緒にいるわけないでしょ。そもそも戻ってきてもいないのに」

少し低くなって、妙に気遣うような声を聞きながら白石はそう答える。
常に一緒にいるわけでもなく、そもそも桜が咲く前には翔北に戻るはずだった

『わかった。アタシ、今から藍沢に』
「ちょっと!いいから。もうなんで急にそんなこと言いだしたの」
『だって、藤川から!アンタたちが別れたみたいだってメールが来たんだもの』
「そう……。何も言わなかったのに、藤川先生ったら」

急に黙り込んだ携帯に、もう一度耳から離して携帯を見る。

「緋山先生?」
『……今度、飲みに行くわよ。あんたんち』
「いいわよ。そんなの……」
『いい。ビール持っていく』

じゃあね、と不愛想にきれた携帯に思わず笑みがこぼれる。

―― まったくもう……

首を振って歩き出す。
白石がHCUに向かった後、じわじわと緋山と同じく衝撃が救命の中に広がっていった。

「白石先生!」
「ん?」
「頑張りましょうね!!」
「え?う、うん」

病棟を移動していると急に看護師に話しかけられて、目を白黒させる。
確かに今は皆が疲れて、皆がぎりぎりで踏みとどまっているときだ。

だからだろうと受け流した白石は、マスクの中で大きく息を吐いてから医局に戻った。

チーム編成のシフトを見直していた白石は、このところ毎日書き直しているシフト表をもって立ち上がる。
医局のドアを開けようとして目の前に立ちはだかった人とぶつかりそうになった。

「きゃっ。ごめんなさ」
「白石先生!」
「えっ?新海先生?」

妙に険しい顔をした新海がそこに立っていた。

「白石先生!あの、自分いつでも空いてますから」
「えっ?」
「絶対、白石先生の味方です!」

がしっと急に手を握られて訳も分からずにただ手を引こうとして身構えた。
白石の様子を気にすることもなく、真剣に頷いた新海はすぐにその場を離れて去っていく。

「……はい?」

眉間に皺を寄せた白石は首を傾げる。
そのままナースステーションに入った白石は周りの目が急に集まったことに驚いて、周りを見回した。

「な、なに?なんかした?」
「いや、お前がさ。その、藍沢と……っていう話でさ」
「藤川先生?」

隣に近づいてきた藤川にそう言われて、思わずにらみそうになる。マスクで顔のほとんどが隠れている藤川の目も申し訳なさそうではあるが、腫れ物に触るようだ。

「だってお前、……あいつ予定ならもう帰ってきてるはずじゃん?」
「それは……」
「お前んちに行くはずだったんじゃないのか」

二人の話に入っては来ないが、周りも二人の話を気にしているのはありありとわかる。

「……あのね」
「いいんだよ。別にいいんだよ。お前らのことだしさ、大人同士が何をってわかってるけどさ」
「藤川せん」

ふっと緊張していた空気が固まった気がした。
ムードメーカーの藤川がそんな風な空気をまとっていることでひりついていた空気が、ほんの一瞬。

「あ」

小さく呟いた誰かの声が聞こえた。

きゅっと濡れたスニーカーの音が響いてきて、向かい合っていた白石と藤川は同時にそちらを向いた。

「……遅くなった」
「藍沢!お前……」
「明日から仕事に出る。今日は顔出しだけだ」

今、こんな話題をしている最中に姿を見せるなんて、間が悪いのかそれとも見計らったからなのか。

何を言ったわけでもないのに、その場は藍沢を責めるような空気でいっぱいになる。

だが、それを感じているのか、あえて無視しているのか、堂々と近づいてきた藍沢は白石に向かって手を差し出した。

「藍沢先生?」
「鍵。車の」
「はい?」
「上りまで車で待ってる」

淡々と交わす二人に周りが呆気に取られていると、ああ、と頷いた白石はポケットに手を入れて車のキーを渡す。

それを受け取って踵を返した藍沢は、再びスニーカーの音をさせてから足を止めた。

「それから藤川。お前、いくらエイプリールフールだからって適当なことを言うなよ」
「えっ?いや、あの、ほら」
「いい加減にしないと怒るのは緋山や冴島だけじゃないぞ」

そういうだけ言った藍沢が去っていくと、周りの目は藤川と白石に向かう。

「な、なぁ?」
「なあじゃないでしょ。しかもプライベートの話を触れ回るなんて……。どういうこと?」
「だって、みんなさぁ。ピリピリしてんじゃん。もう少しなんか気がまぎれるようなことないかなって思うじゃん?」
「気がまぎれるわけないでしょ!」

周りを見回した藤川に冷え冷えした視線が突き刺さる。

ふい、と白石が背を向けるとますます空気は冷たくなった。

「あ、ちょ。あれぇ?みんなさぁ、ほら、笑うとこ笑うとこ!」
「笑うわけないでしょ!もう!私にまで!!」

目を吊りあげた冴島にこってり怒られた藤川は、しばらくの間看護師たちからも冷ややかな対応を受けることになる。

— end

4