月夜のうさぎ

しばらく大祐と一緒に暮らす日々が続いて、幸福感は誰へともなく、この状況に感謝したくなる。
多少の諍いがあったが、それでも初めて誰かと暮らすことを実感していた。

どれほど急いでもリカの方が遅いことの方が多い。

そして、毎日のように仕事から帰るときにはメールをして、大祐が駅まで迎えに行く。今日も局を出る前にメールを送ると、途中の駅で合流する、とメールが返ってきた。

急いで追いついたのだろう。
途中の乗換駅でリカが一度、電車を降りてホームに立っていると階段を急いで駆け下りてくる人影がある。

「リカ!」
「大祐さん、急がなくてもいいのに」

少しだけ息が荒い大祐が大きく息を吐いて、リカの隣に立つ。こんなことくらい、いつも一緒にいられるわけではないのだからと思ったところで、ふと、リカの顔をまじまじと覗き込んだ。

「リカ、さん?」
「はい?」
「……疲れてる?」
「そりゃ、まあ……」

仕事明けなわけだし、今日は会議も多くて、なかなか仕事が進まなくて、なんだか苛々していた。
それでも特に何かあったわけではない。
きょとん、とした顔で大祐の腕にそっと手を伸ばしたリカは、曖昧に笑った。

「別になんてことないですよ。普通に夕方だから?かな」
「そう……?なんだか顔色が悪いような気がしたから」
「え?ほんと?そんなことないと思うんだけど」

思わず自分の顔に手を当てたリカを一瞬、眉を顰めてみた大祐は、ちょうどそこに滑り込んできた電車を見てリカの手を掴んだ。

「きたよ。とにかく帰ろうか」
「あ、はい」

それほど空いているわけでもない電車に乗り込むと、ドアのすぐ傍だけは強い冷房がきいていたが、少し中に入れば人に遮られて冷気は来なくなる。

いつもはすぐに降りるし、と冷房が届く程度には近い場所に立つリカが今日は大祐の体を盾にするように奥側に立った。

「なんだか今日はじめっとしてるね」
「ほんとに?私、今日はずっと局から出なかったからな」

ぽつぽつとそんな話をしながら、いくつかの駅をやり過ごす。その間も、やはりいつもより元気のなさそうなリカが気がかりで大祐はリカの体を引き寄せるように腕を回した。

「あったかい。一日、冷房にあたりすぎたからかな」
「え、寒いの?」
「ん、少しだけね」

今度ははっきりと心配そうにリカの様子を伺いながらすぐに頭の中であれこれと考え始める。いつも素直には言うことを聞いてくれないリカにこういう時だけは早く休んでもらおうと思う。

「風邪でもひいた?」
「そんなことない。全然平気。たまたまよ」
「そうかなぁ……」

心配性な大祐にニコリと微笑みかけて、二人はそろって最寄駅で降りた。買い物をしていこうというリカを気遣いながら近くのスーパーで手早く買い物を済ませる。
部屋についてすぐに大祐は今日は自分が夕食を作ると宣言した。

「まかせていいから、リカはさっさとシャワーしてゆっくりして」
「えぇ?!だって、平気なのに」
「平気でもなんでもいいから!たまには言うことを聞きなさい」

珍しく優しい口調なのに命令口調がでて、リカは一瞬ひるんだ後素直に頷いた。
お願いします、と言ってリカがバスルームに消えた後、買ってきたものと冷蔵庫の中身を確かめた大祐は、白飯に焼き魚、お浸しに味噌汁、と絵にかいたような和食を作った。
少し塩気の強い味噌漬けの魚はなかなか食欲をそそる匂いがする。

テーブルに運んでいる頃にようやくリカがバスルームから出てきたらしい。ばたんと音がして着替えているらしい気配がする。
さすがに嫌がることはわかっているからその間だけはキッチンに向かわずに待っていると、着替えを終えたリカがバスタオルを肩にかけて部屋へと戻ってきた。

「お先にごめんなさい。ありがとう」
「うん、いいけど……リカ?」

さすがに今度は顔色が悪いというより、真っ白に見えた。はっきりと顔を曇らせた大祐が半分濡れたバスタオルを取り上げて、代わりにソファの上に畳んである大きなショールをリカの体に巻きつける。

「大丈夫。おいしそ……」
「おいしそうはいいけど、大丈夫?本気で顔色が悪い」
「あ……うん。ちょっと、今回は……ひどいみたいで……」

言い難そうに視線を逸らしたリカの肩に手を置いた大祐がよく意味が分からずにどういう、と言いかけてしまった後にようやく気付いた。

「……気がきかなくてごめん」
「いえ……。あの、大丈夫だから気をつかわないで」
「うん。でも……辛いんじゃないの?」

きっと二人でいるようになってからもそんなときはあったのだろうが、こんな風に弱々しくなっている姿は初めて見た。
青白い、というより本当に真っ白い顔をしたリカが心配でどうしていいかわからない。
そんな大祐に、はにかむように笑ったリカがぎゅっと大祐に抱きついた。

「大丈夫。これでも女ですから、ちょっと今回ひどいだけなの」
「ひどいって……、あ。とにかく座って。食べられそうだったら少し食べて?」
「ん」

頷いてリカが腰を下ろすと、心配そうな顔で大祐が傍に座る。
あまりに途方に暮れた顔にリカがくすくすと笑い出した。

「大祐さん、心配しすぎ」
「だって、自分にはどう具合が悪いのかもわかんないし、何かしてあげられたらいいんだけど」
「ほんとに平気。ちょっとお腹が痛いとか、寒いとか、その時にもよるしね」

リカの笑顔にいくらか不安が和らいだのか、食べようかと箸を手にした。

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