暴君の支配のもとで 2

あまり寝てないので。

そんな風に言われると、どうしていいのかわからなくなる。
責めているのかと思ったが、そんなわけでもなく目の前のリカは穏やかだ。

「あの……。リカ、さん?」
「はい?」
「……うん」

大祐にコーヒーを淹れたリカは、今は卵を茹でていて慣れていない手際で朝食を用意している。

ぼんやりとそのリカを眺めていた大祐は、まるで昨夜の自分と今の自分は別人のような気がしていた。

入籍して、二回目にようやく指輪を買って、写真をとって。
それからようやく会えたからといって、昨日は舞い上がりすぎたというか、なんというか、自分でもどうかしていたと思う。

松島で再会して、二度目も自分の部屋だったから、何度か来たことがあるリカの部屋へは久しぶりだった。

―― だからって高校生じゃあるまいし……

電話で毎日話していたのに、やっぱり会って話していると嬉しくて、その声に思わず手を伸ばした。それからを覚えていないかというと、本当は覚えている。

ほんの少しでも触れたくて、触れたら止まらなくて。
堪えようと思って無理矢理寝ようと思ったのに、寝ているつもりでどこかでその柔らかさや温かさを求めた。

そのうちに、泥のように眠り込んで。

日ごろから少しの音でも目が覚めるのに、リカが起きたことにもコーヒーを淹れてくれたことにも気づかないくらい深く眠ってしまった。

我ながらどうかしている。

リカが腹を立ててもおかしくないはずだが、軽く睨まれただけだ。

こうして大祐がぼんやりしているのも滅多にない。自分が自分らしくなくなる、そんな様は久しぶりな気がする。ずっと足元ばかり見てきたから余計にそう思う。

「りかさん、あんまり朝ごはんとってない?」
「な、なんでですか」

リカをじっと見ていた大祐は、不器用なリカの手つきにくすっと笑う。立ち上がって、リカの傍にたった大祐は、だいぶ変形したゆで卵を持っていたリカの手から卵を受け取った。

「手伝うよ。リカさん、これ何作ろうと思ってた?」
「え、と、たまごサンド……だけど」
「手伝う」

まな板の上に崩れかけた卵を乗せて、包丁を手に持つ。

「何か、いれるもの、ある?」
「あ、はい」

手近な器を差し出したリカに、さらに吹き出す。

「こんな、でかいのいる?」
「えっ?あっ」

どんぶり、といっていいくらいの大ぶりの器に笑いながら手際よく砕いた卵を入れる。目の前のカウンターに置かれた食パンに手を伸ばす。

恐ろしいくらいきれいなままのキッチンに、ふ、と笑いが止まらなくなった。

ちらりとコンロの周りをみてからおそらくとあたりをつけてキッチンの下に手を伸ばす。

「いいですか?」
「……はい」

苦い顔をしたリカが半歩下がるのをまって、引き戸の中からフライパンを取り出した。

「リカさん、もう少し自分でもつくったら?」
「……時間と材料の節約なんです!」

噛みつくように言い返したリカと正面から顔を見合わせて。

「うん。このゆで卵みたら、ちょっとそれも正しいかなって思うけど」
「……空井さん!!」
「はい、なんですか?空井さん?」
「う……くっ」

つい、大祐を慣れた呼び方で読んでしまったリカをからかいながらフライパンの中に食パンを放り込んだ。弱火でパンを暖めている間に器に移した卵に軽く塩コショウと、マヨネーズを混ぜる。ほとんど減っていない調味料入れが並ぶ棚にあったバジルの文字に彩り代わりと、ほんの少し散らして。

片面だけ焼いたパンに乗せて挟む。

「なんでそんなに手際いいの……」
「室長が言ってたでしょ?家事一般仕込まれるって」
「そうだけど!でも……」

対角線上に包丁を入れて、タンポポ色の断面をみせた大祐に、恨めしそうな顔が皿を差し出した。

「どうも」
「柚木さんだって、男どもはってこの前言ってたもの……」

ぼそっと、小さく呟いたリカの反論にああ、と呟く。

「槙さんは確かに、室長並みにやるみたいだけど、あれはそもそも……」
「そもそも?」
「いや……」

―― 柚木さんの胃袋を掴んで落とすためだったからな……

カウンターに皿を乗せて端から洗って片づけていく。

「あれで柚木さんもかなりなんでもやるって言ってましたよ?槙さんが。おっさんだのがさつにみせて、器用だしマメに動くしね」

ますます、むくれた顔のリカの頬を洗ったばかりの手でつん、とつつく。

「できるかどうかより、リカさんの体が心配です」

―― 無茶させた俺が言うのもなんだけど……

リカを連れてソファの前に移動する。
意識して隣ではなく、直角の位置に腰を下ろす。

まだむくれているリカの頭をくしゃっとなでて、促した。

 

「……」
「そんなわけでね。若いんだけどいい子だよ。ちょっと秋恵ちゃんに似てるかなぁ」
「……ふうん」

外側は焼いていないふわふわの面で、卵をはさんだ側はほんのり焼いてあっておいしい。

―― なのに、おいしくない。

「ちょっと心配なのは、こっちに来るときにね。不安そうだったんだよね」
「……不安?」

息を吸い込んで、自然にできたかどうかわからないけど、大祐の顔を見ないように呟く。

「うん。だってね」

そういって、大祐は出てくる時の様子を話しだした。

今回は仕事もあっての移動だったので、大祐はあまり時間がなかったのだ。
急いで渉外室から飛び出した大祐の後ろを三原マキが追いかけてきた。

「空井一尉、これから東京ですか」
「うん。あと、よろしく頼むね」
「はい。あの……空井一尉がいらっしゃらないと寂しいです!」

それを聞いて、大祐は困った顔で曖昧に笑う。

「あ、うん。そう、かな」
「そうです!空井一尉が丁寧に教えてくださるのでいつも助かってます!」
「ごめん。もう時間がないんだ。また戻ったら話を聞くよ」

ひらっと片手をあげた大祐をみて三原マキはふう、とため息をついた。

「はい。……いってらっしゃい」
「じゃっ」

そういって、大祐は走り出てきた。

「自分も、こまめに面倒を見てるつもりだったけど、やっぱり異動してきてまだ慣れないのかなって」

どう思う?と首を傾げた大祐をうっかり見てしまったリカはうっと息を止めてしまう。

―― どうって……、それ、不安だからとかじゃないでしょ……。どう考えても……

「でも、大祐さんが……。その、異動ってことは他でももう働いていたんでしょう?そしたら、慣れないって言っても程度問題じゃないかなぁ」
「そんなもんかな。女の人のことは正直、よくわかんないし、まして先輩ならまだしも部下ってなると……」

首をひねる大祐にほんの少しの苛立ちを隠してため息をつく。

―― この天然っていうか、話の順序がおかしかったり、いきなり踏み込んできたりすること、私も悩まされたもんなぁ

「まあ……、あんまり女性の隊員さんって少ない、よね」
「そうなんだよね。同じ部署って猶更少ないし……。柚木さんみたいなケースは少ないしね」

大祐の呟きを聞きながら、リカは持て余す感情を隠して曖昧に笑った。

そういえば、あの頃も、大祐の過去にほんの少し振り回されたが今は現在進行形なのが少し違う。あの頃は大祐自身が過去の話だといいきっていたが、今は部下であり本人がまったく気づいてなさげなところが難しい。

「あの、ね?でもあんまり、その、構いすぎても、なんというか……」
「ん?」
「……なんでもない」

構いすぎれば、誤解する子もいてもおかしくない。

たったそれだけのことを遠回しに大祐に伝える、ということができなくて、早々に挫折してしまう。

―― 傍にいたからって、こういうことが起きないかって言ったらそんなわけないんだろうけど、やっぱりあるなぁ……

仕事が恋人で、ずっと昔の彼氏相手でも嫉妬するというよりもどちらかというと、自分を仕事のどちらが大事なのかと迫られたクチのリカにとって、この手の感情とはどう付き合っていいのかも分からない。

藤枝のようにわかっていてやるような男なら逆に突っ込みようもあっただろうが、大祐は無意識、無自覚、無頓着の三拍子がそろっている。

「……そういえば、大祐さん。週明けの打ち合わせが終わったら帰るの?」
「ああ。うん、打ち合わせ次第かなぁ。できれば……いや、うん」

できるならもう少しいたい、といいかけた大祐が視線を彷徨わせたのを見て、くすっと笑う。

「なんだか、結婚したのに、仕事がらみじゃないとなかなか会えないのも私たちらしいですね」
「それは!あの、じぶ、僕は、会いたいと思ってますけど!リカさんが、無理して会うのはやめようって……」
「言いました。言いましたけど、でも、それが私たちらしいかなって」

顔を見合わせているうちに、ぷっとお互い吹き出した。

些細なことを気にしていても仕方がない。

そう。リカは、この感情を些細なことだと思っていた。そして手に負えないのは、自分だけではないということにも。

「それでは、さっそくなんですが……」

話を切り出したリカと比嘉の間で話が始まり、付き合いの長さからいっても無駄のない確認と必要な書類、進行についての確認が会話の主になる。

「今回は特番の中でのミニドラマの背景に基地の中を使わせていただくということになります。出演者が入り込むシーンはほとんどありません」
「ほとんど、ということはあるにはあるんですね。それではその出演者の方々も含めて基地に入られる方々のお名前はいつものように」
「はい。スタッフ分はこちらに用意してあります。出演者は調整中なので、決まり次第のご連絡とさせてください」

書類をさしだしたリカと、受け取る比嘉とのやり取りはひどくスムーズで穏やかに進むように見えた。

こん。

男のビジネスシューズは固い。
だから、軽くであってもそれで足をつつかれるとそれなりに衝撃はある。

我に返った大祐は、張り付いた笑顔の比嘉と、怪訝そうなリカに向かって無理矢理笑顔を作って見せた。
初見でこんな風に気に入らないと思うなんて、大祐にはなかなかないことだったが、めぐり合ってみると笑えるくらいにターゲット認定できるものらしい。

久しぶりの帝都テレビの二階、吹き抜けのロビーに腰を下ろしていくらもたっていないうちに、大祐の眉間には何度も縦に深いしわが刻まれていた。

『空井一尉』

声を出さないようにして比嘉が目で訴える。

―― くそ、比嘉さんに言われてたのに……

小さく頭を振って、立て直した大祐は目の前の資料に目を向けた。

遡ること三十分程度だろうか。

「稲葉さん。ご無沙汰しております」
「比嘉さん。こちらこそご無沙汰してます。今日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」

比嘉とともに帝都へ向かった大祐は、エスカレータを上がった比嘉に気づいて立ち上がったリカと、もう一人の男に会釈をして席に着いた。比嘉が挨拶をしている間に、隣に座っていた藤原も立ち上がって名刺を差し出してくる。

「初めまして。帝都クリエイティブエージェンシーの藤原と申します」

名刺を差し出した藤原と大祐たちが名刺を交換した後、全員が腰を下ろす。そこから、ひたすら腹の中のもやもやと戦う羽目になるとは。

確かに、ここに来る前、広報室で打ち合わせをしていたときに、なぜか比嘉がわざわざ妙なことを口にしたのだ。

「えー、今日はお仕事の話ですから、空井さんもそれは心にとめていただいて」
「比嘉さん。どうしたんですか?急に」
「いえ。特にどうということはないですよ。ただ、空井さんはこちらでのお仕事が久しぶりなので念のためです」

今までそんなことを言ったことがない比嘉に、首をひねりながらも頷いた大祐はどこか浮かれていたのかもしれない。ビジネスバックを握る手も、もう慣れたはずなのに、楽しみで仕方がないと思っていたのも事実で。

帝都テレビについて、見慣れた景色に思わず口元が緩みかけた大祐は口元を何度も拭う。緊張するわけではなく、単純に口元がにやけるだけだ。

その様子を眺めていた比嘉は、不安に拍車がかかる。

「空井一尉。大丈夫ですか?」
「あ、はい!いや、久しぶりだなぁと思って……」
「そうですよねぇ……。まあ、今日は僕が進めますので気楽に……」

確かに、今日は広報室の比嘉が担当として出向くのに同行する形で来た。話を進める中心は比嘉であることはわかっている。
妙に歯切れの悪い比嘉の肩を大祐はばしっと叩いた。

「行きましょう!」

すたすたと歩きだした大祐の後ろにいたために、比嘉がどんな顔をしていたのか見ていなかったことをほんの少しだけ後悔する。

―― 比嘉さん、なんかわかってたのかな……

「こちらからもよろしいでしょうか。データ放送で使用したいのですが、こういったタグをマーカーのように使用させていただくんです。それをこのように……」
「はい」

帝都側に座る藤原とリカの距離が妙に近い。
比嘉とリカも直角に座っているのだが、その背後に寄り添うような距離感にみえた。

このロビーフロアの椅子が大きなものでなければもっと近づいていただろう。

撮影時に特殊なマーカーを埋め込むことでデータ放送時に使用するのだという説明なのだが、その説明になんとも集中しづらい。

「こういったものは後から差し込むこともできるんですが、今回は撮影と同時にすすめさせていただけると一発で済みますので助かります。特に差しさわりがないかとは思いますが、念のためこういったものを使わせていただくということをお伝えさせていただいておこうかと思いまして」
「承知しました。藤原さんは撮影のほうを?」
「はい。撮影全般を今回は私どものほうで進めさせていただきます。特番ということで今回は帝都テレビさんのご協力をさせていただいております」

視線が鋭くなった大祐に気づいたリカは、ちらりと比嘉と視線を交わしてから口を開いた。

「今回はこちらの帝都クリエイティブさんにはこういったかたまりでの撮影をお願いすることがありまして」

大祐は頷いたが、そのリカの肩に藤原の肩が触れた。

「稲葉さん。必要なら私のほうから改めてご説明に伺いますよ」

だから大丈夫ですよ。任せて。

身内と、外部と。

そんな立場だから仕方がないこともわかっている。
だが、比嘉と空井に気遣いしながら小声で話す姿にぴくっと手に持っていたペンが揺れた。

0

コメントを残す