未完成ロマンス 2

「もしもし?」
『っ、はやっ!大祐さん?』

きっと人には見せられないくらい、ふにゃっとした笑みが浮かんだ。

『今、ものすごく早くでなかった?』
「うん。早く話したかったんだけど、リカが帰ってくるのを待ってた」
『あ、ああ、そう……』

妙に素っ気ない物言いなのだが、これは素直ではない妻がものすごく照れているときなのだ。今日はやけにリカがいつも以上に可愛く感じる。

「今日はありがとう。連絡をくれて」
『ん。仕事中に電話してごめんなさい』
「いいよ。リカがどうでもいい電話をしてくる人じゃないってわかってるから。それでどうなった?」
『おかげさまで、ひとまず一日だけでも有休の申請を出したら何とか。来週中に残りの申請も出さなきゃいけないんだけど』

リカの上司である、阿久津から相当厳しく言われたらしい。阿久津も総務から厳しく言われるために、部下には何とか休みを取らせるのに必死なのだ。

「でも、俺は嬉しいよ。どうしようか。本当に温泉でいいの?四日もあるなら結構いけると思うよ?」

さすがに海外は無理でも、リカが行きたいというならどこでもいいのだ。それこそ、リカの思い出にかかわる猪苗代を中心に福島を回るのもいいかもしれない。

だが、電話の向こうからは思いのほか現実的な答えが返ってきた。

『駄目よ。だって、そろそろ式の支度も本格的にしなきゃいけないし、それだけでもお金がかかるのにもったいないでしょ?それに、ちゃんとした旅行なら、もう取れないんじゃない?』
「え?そうなの?」

あっさりと却下された大祐は少しだけがっかりしながらもまさかと思う。9月に入ったばかりで後半の連休なんてまだ先ではないか。

『もう!何を呑気なこと言ってるの?連休なんてとっくに予約でいっぱいになってるわよ』
「まさか……。え?ほんとなの?」
『うん……。宮城の温泉だと秋保温泉とかだと思うんだけど、連休はもう一杯よ?1日前だったらまだ結構予約ができそうだったけど』

いままで旅行など全く興味がなかったからそんなことにも関心がなかったが、リカの様子からすれば本当なのだろう。

「温泉、とれないの?」
『ん。だから、休みの初日なら何とか……』
「本当?!温泉、一緒に行ってくれるの?」
『……大祐さん?』

そこまできて、妙にテンションの高い大祐の様子にリカが不審そうな声を上げた。
リカも近場で何かと考えたうえで、温泉でも、という案を出してきたのだろうが、これまでデートらしいデートはほとんどない二人だが、それにしても泊まりで出かけるということが特別なのだ。

「リカがどこかに出かけたいって言ってくれたのも初めてだし、休みを取ってそんなに一緒にいられるのも初めてだし、そりゃテンションあがるよ」
『だ、だって、8月だって、大祐さんが仕事でこっちに来てくれてた時は2週間近く一緒にいられたじゃない』
「それは仕事でそっちにいったってことでしょ?休みで一緒に旅行なんて初めてだからわくわくするよ」

温泉で、浴衣姿のリカを見られると思うとそれだけでわくわくしてくる。

『わ、わくわくって……』

その戸惑った声に、おっと、と無意味に咳払いをして誤魔化したのは、一応男として、というより夫として恰好をつけたかったからだ。

「いや、それで、いくつかリカがいいと思うところ、候補を絞ってみてくれる?その中で選んでみようよ」
『ん。わかった。じゃあ、ちょっと調べてみる。すぐの方がいいのよね?』
「うん。口頭では許可はもらったけど、ちゃんとした申請書には行先を書かなきゃいけないからね」

一旦電話を切って、リカがリストアップした候補をメールでもらうことにした。

宮城には秋保、作並のほかにも鳴子や遠刈田などの温泉がある。一番行きやすいからと秋保を選んだ大祐は、老舗らしい旅館と真新しい旅館で迷ってしまった。

「どう思う?」
『大祐さんはどっちがいいの?』
「うーん。なんかどっちも迷うかな」

新しい方は新しいなりに雰囲気がよさそうで評判もいいらしいし、老舗らしい方も評判は上々だ。あとは値段勝負になりそうだが、リカと初めていくのに金額の差で決めたくはなかった。

『じゃあ、作並の方は?少し検索で出てきた件数は少なかったけど』
「あ、うん。こっちもいいよね。どっちもたくさん観光できる場所があるわけじゃなさそうだけど」
『それはまあ、別に……。前の日にこっちを出られたらいいんだけど、もし駄目だったら朝に行くことになるから……』

前日の仕事具合など今からわかっていれば苦労はない。急なトラブルにも対応するのがリカも大祐も日常なだけに歯切れが悪くなるリカに、大丈夫、と妙な自信を持って大祐が請け合った。
土日を除いて、再び再開した春先からずっと、急な休みをとることはあっても、計画的な休み、それも連休なんて初めてなのだ。だからこそ、どうやらナーバスになっているらしいリカにゆっくりと話しかける。

「こうして予定を立てるのも楽しいことなんだね。リカがいてくれて、俺はいろんなことを初めて体験していく気がする」
『……そういうもの?』
「うん」

自信を持ってそこは言える。なにせ、自分の世界はずっと空でいっぱいだったのだ。ほかの事には一切興味を持たなかった自分に、こうしてリカが教えてくれることの一つ一つが新しくて、楽しくて、わくわくさせてくれる。

携帯を持つ手がリカの代わりにぎゅっと熱を持った小さな塊を握りしめた。

「だって、前の日に来てくれたらこうしよう、とか朝にこっちにくるならこうしようって次から次に思い浮かぶんだよ。楽しくて仕方がないよ」

―― リカを喜ばせることができると思ったら

新聞を取らないので、チラシのようなものはないのだが旅行のパンフレットは買い物のついでに目についたのでもらってきていた。その上に、次から次へと思いつくまま書きなぐっている。それもほとんど無意識に近い。

『……大祐さんって……すごい』
「そう?」
『ん。私も楽しみ』

携帯越しに聞こえる声が少しだけ緩んだ気がしてほっとする。それから、あれこれと話をして予約は大祐が済ませた。

今月はその前の週もカレンダーは三連休になっていたが、台風が接近しているということもあって、会うのは見送ることにした。代わりに、日がな一日、ずっと互いの携帯に入っているアプリが立ち上がったままだ。

『今にも降りそう。買いだめしておいてよかった』
その後に可愛らしいイラストが入ってくる。

くすっと笑って、最近ようやく慣れ始めた画面を操作して、ぐたっとしているイラストを探し出す。

『そういう日は家から出なくていいから、ずっとくっついていられるのに』

すぐに既読と表示されるが、その後がなかなか続かない。電話じゃなくていいところは、互いに何かをしながらもすぐ隣にいるように会話できるからだ。
続きがなかなか入ってこないからテーブルに携帯を置いて、コーヒーを入れに行って戻ってくると、もともとはいっているものとは違う可愛らしいイラストが真っ赤になってじたばたしていた。

それだけしか入ってこないところがますます可愛い。
きっと、向こうでも色々と想像してこんなイラストを送ってきたのだろう。

―― 可愛いなぁ。リカぴょん

こんなことをしていると一日中、顔が緩みっぱなしになってしまう。
こちらも表は、今にも雨が降りそうだったが今のうちに買い物に出なくては。今のうちにちょっと出てくるね、と送ると車のキーを手にして家を出た。

0

コメントを残す