ブーケとブートニア9

『kimuzukashii ganbariya mukoumizu ijippari tereya majime kawaii  My Snowwhite』

何度目かのため息をつきながら空井は掌の上に乗せていたそれを見ていた。
仕事明けで家に戻った後、テーブルの上に置いたのはピンクの石のついた指輪で、掌には光沢のある白というか、柔らかい白のリボン。

鞄の中にいたそれは決してなかったことにはならず、空井が家に帰ってから急に存在感を増していた。

藤枝が何を考えてそれを用意したのか。
ずっと空井は考えていた。

白のリボンの表面に真っ白なインクで印刷されたそれは、空井自身、何度目かでようやく気付いたのだ。

「気難しい、頑張り屋、向こう見ず、意地っ張り、照れ屋、まじめ、可愛い……か。全部あってるけど、……でも白雪姫はないでしょ」

は、と息を吐く様に笑う。
うまいことを言うものだとつい思ってしまう。自分や、まして、藤枝の心中などにはほとんど気づくことなく、鈍いくらいなのに、リカ本人はそんな自分に全く気付いていない。
天然すれすれだと言ったら顔を真っ赤にして起こるかもしれないのに。

もし、リカがこれに気づいたとしたら藤枝はどうするつもりだったのだろう。
リカはどうしただろうか。

ごめん、と謝ったとしても、友人関係は続けていくのかもしれない。それを言うなら空井にも、秋恵や、ほかにも普通に話せる女性隊員たちがいる。
それを友人と言えば言えなくもないが、きっとリカと藤枝との関係とは違うだろう。

あとは、次に藤枝と会う機会があるのか、会ったとしたらどうするのか。
自分が決めればいいだけだのはずだった。

会って、どういうつもりなのか聞いて。

「……聞いて、どうするんだろうな。俺……」

譲るとか譲らないとか、そういう問題ではないのもわかっている。
もしそうだとしても、リカの手を離す気もない。

ごろっとそのまま倒れこんだ空井は、リボンを握りしめたまま大の字に横になった。白い天井を見上げると、リカの部屋の壁紙に似ているなと思う。

―― 離れてると、こういうことがあるんだなぁ

なまじリカが美人で、仕事もできるからこそ、それを見ている周りも、リカを認めて引き寄せられていく。それは傍にいたからと言って、何が変わるわけでもないと自分に言い聞かせてみてもどうなるものでもない。

すぐに傍に行けない距離というのを嫌でも実感する。

「わかりきってるのに……。今更だな、俺」

たとえ距離があってもいいからと思ったのだから、あとは一つ一つ何とかしていくしかない。
週末が早く来ればいいのにと思った。

その頃のリカに何があったのか、空井は知らない。

「い、たたた」
「大丈夫?」

額にの端にできた擦り傷を丁寧に消毒されたリカは、思わず痛みに身を引いた。看護師が気にかけてくれる。きれいな顔に傷でも残ったら大変、と医者にも言われた。

珠輝が心配そうな顔で背後に立っている。幸いなことに腕は強打しただけで済んだ。今は赤くなっているだけだが、明日には間違いなく黒々したアザになるといわれて湿布をして包帯を巻かれている。

額にはガーゼを張られたリカは、やっと処置が終わって一息ついた。

「もし、頭が痛むようだったらすぐまた来てくださいね」

傷の具合と怪我をした状況からするとおそらく大丈夫だろうとはいうものの、何かがあればということらしい。
ほっとしたらしい珠輝の泣きそうだった顔にようやく笑顔が戻る。

「大丈夫だって。このくらい」
「だって、稲葉さん……」
「とにかく局に帰ろう。坂手さんと大津君は?」

病院についてから動揺した珠輝に代わって坂手が局にあれこれと連絡を取ってくれた。一旦、先に局に二人は戻っているらしく、リカと珠輝はタクシーで局に戻ることにした。

リカがフロアに戻ると阿久津達がまだ残って待っていた。

「稲葉」
「稲葉さん!」

フロアに顔を出した途端、皆が駆け寄ってきた。額の白いガーゼがやはり目立ってしまう。

「どうなんだ。怪我の具合は」
「あ、全然大丈夫です。ご心配おかけしました。額はちょっと擦り傷みたいなだけで、明日にはもうこんなの外してもいいみたいです。あとは右腕、ちょっとぶつけました。これも打ち身だけで大したことないんです。今は湿布してるからこれ、ちょっと大げさなんですけど」
「そうか。とにかく話を聞こう。あと総務にも書類が必要だ」

仕事中の怪我だけに労災やら何やらの手続きもいるらしい。テレビ局だけにそういうことにはひどく敏感でもあった。

会議室に呼ばれて、珠輝と一緒に状況を報告して、手続きを済ませる。

「……お前、緊急連絡先。まだ変えてないだろ」

何かあった時の連絡先はまだリカの実家のままである。暗に空井に連絡をしなくていいのかと問いかけられたリカは、首を振った。

「入籍とかちゃんと済ませたら変えますけど、今はいいんです。こんなの心配かけるだけだから連絡しないでください。珠輝も余計なことしないでね」
「俺は、連絡した方がいいと思うぞ」
「私もです!」
「いいえ。こういうことって、きっとこれからもあり得ると思うんです。でも、まず一人で立っていられないと駄目だから」

そういう問題ではない、というのは簡単だったが今のリカにはきっとそういうことはわからないだろう。夫婦とはと語らせればいくらでも言えるだろうが、それも人それぞれで、正解など所詮あってないようなものだ。

リカと空井には、二人なりの解決を見つけなければならない。

「……わかった。だが一つ言っておくぞ。こういう場合、周りから聞いた方が事は揉める」
「肝に銘じます。ありがとうございます」
「それから、明日は休んでもいいぞ。というか、その顔の傷じゃ……な」

目立つから来るなということらしい。

わかりました、と頷くと、ひとまず席に戻って引き継ぎを済ませることにした。

「じゃあ、これとこれはメールしておくから」
「はい」

珠輝はさすがに今日の出来事を目撃している。真剣にリカから話を聞き取っていき、引き取れないものは時間に余裕を持たせるように調整してもらう。

「でも、こんなのすぐにカサブタになるし、そしたらファンデで隠せるから」
「駄目です!そんなことしたら、跡が残っちゃうじゃないですか。これからお嫁さんになる人がそんなことしちゃ駄目です!」

思いがけず真剣な珠輝の顔に気圧されたリカが頷いているところに、藤枝が現れた。

「あれ。藤枝」
「『あれ、藤枝』じゃねえ」
「私が連絡したんです。稲葉さんを送ってってもらうのに」
「はぁ?!なんでそんなこと」

待ってるからさっさと仕事を終わらせろという藤枝に、肩を竦めてリカは珠輝と一緒に残りの仕事を片付けた。

やるべきことを済ませ、メールを送っていたリカの傍でひどく不機嫌そうな藤枝はコーヒーを飲みながら苛々と待っていた。

「ねぇ、別に頼んでもいないんだし、苛々しながら待つことないよ」
「うるせぇ」

稲葉さん!と珠輝に止められて、残りを片付け終わったところで席を立つと、藤枝と珠輝が一緒に下までついてきた。

「珠輝、もういいよ。大津君も心配してると思うし」
「そんなのどうでもいいです!私、送れませんけど、藤枝さん、お願いしますね!絶対、稲葉さんに無理させないでくださいね」

局を出たところで珠輝と別れたあと、不機嫌な藤枝がリカの鞄を持って歩き出した。

「タクシーじゃなくて帰れんだろ」
「あ、うん。でも、本当に」
「うるせぇって言っただろ。言っとくけど俺、怒ってるから」
「はぁ?なんであんたが怒るのよ?」

眉を顰めた瞬間、額に走った痛みに片手を上げようとして今度は右腕に痛みが走る。
眉間に皺を寄せた藤枝が黙ってそれを見ていた。

「……空井君に連絡したの」
「するわけないでしょ。こんなの心配かけるに決まってる」
「じゃあ、なんで危ない真似すんの!!」

叩きつけるように怒鳴られて、リカは目を丸くした。
したくてしたわけでもなく、今日の出来事は不可抗力に近い。なのになぜこんな風に怒られるのか全く理解ができなかった。

「あのねぇ。何をどう聞いたのかわかんないけど、あんなの報道にいた時に比べたら全然、怖くもないし、あれだけ人通りがあったら、騒いでいるうちになんとかなるもんだし。それに、たまたま傍にあった柵にぶつかったけどあれが」
「お前なぁ!わかってるよ、そんなこと。それでもお前は女なんだからそういう時は一目散に逃げろって言ってんの」
「そんなわけにいかないでしょ?私はディレクターとして取材にいってるの。それを放り出して逃げるわけにいかないでしょ」
「何かあった時にディレクターだったからとかそんな言い訳でなんとかなるわけねぇだろ!……それに、お前が本気でそれ、言えるんだったら今すぐ、ここで空井君に電話してその怪我の訳を言ってみろよ!」

ぐっと言葉に詰まる。
リカにとっては、自分ができる限りのことをしただけで、怪我は不可抗力に過ぎない。だから怒られる理由も納得はできなかったが、ここで電話できるかと言われれば、さすがにそれはできなかった。

「お前は本当に分かってねぇ。……いくぞ」

むぅ、となったリカもそれ以上食い下がってもいいことはないと、黙りこくって電車に乗った。
最寄駅までついたところで藤枝に向かって手を差し出したが、鞄を渡すことなく、顎を軽く動かす。

「家まではいいから!」
「その距離でもお前は何すっかわかんねんだよ!それに、その腕じゃなんもできないんじゃねぇの。なんか食い物だけでも買わなくていいの」
「あ……」

その時の分しか買わないリカの家に対して食べるものなどない。そしてこの腕ならただでさえ、時間がかかるリカが料理などできるわけもない。

「……すいません」

どうぞ、と促されて最寄りの24時間スーパーに足を向けた。すぐに食べられるものと、ひとまず明日の分だけを買って家にむかった。
エントランスの前でも荷物を渡さない藤枝に折れて、部屋の前まで行ったところでようやく藤枝がリカに鞄と荷物を手渡した。

「無茶すんなよ……」
「ありがとう」
「おま……。いや、やっぱいい。じゃあな」

頷いたリカを部屋に押し込むとくるっと背を向けて不機嫌なまま、藤枝は帰っていった。

「さてと」

部屋に入ってから、鞄をおいて、荷物を片付ける。今日はこんな腕ではシャワーを浴びることもやめておいた方がいいだろう。ふき取りタイプのメイク落としで化粧を落として、食事をしながら空井にメールを書き始めた。

今帰ってきたこと、ちょっと今日はドジって腕をぶつけた。

それだけを書いて、手を止めた。おにぎりを口に入れて、食べ終えるまでに勇気をかき集める。

きっと何をどういっても、空井は心配するだろう。できるなら黙っておきたかったが、週末が来るまでに、額の傷がカサブタもなくなるとか、腕の青あざが消えるなどない。

メールよりも、ちゃんと自分の口で伝えたかった。

「もしもし」
『はい。もしもし』
「今、大丈夫ですか?」

リカは無意識だったが、それを聞いた空井は携帯を耳に当てたまま、わずかに身構えた。

『大丈夫。リカは?今帰ってきたところ?』

さりげなく、普段の口調に戻した空井に、またもや大丈夫です、と答えてしまう。

「さっき帰ってきて、ご飯食べたところ」
『そっか。遅かったね。お疲れ様』

ですます体と普段の口調が入り混じるリカに何かあったのは確かだろう。

「うん。お疲れ様」
『忙しかった?』

どうしたの、と一番言いたいことが出てこなくて、ただ忙しかったのかと問いかける。仕事で何かあっただけならいいが、空井に対して口調が変わるのが気になった。

―― まさか、藤枝さんがどうとか……

そこにリカがいるわけでもないのに、空井は落ち着かなくて座りなおした。

「仕事、今日、ロケだったんです。で……その」
『ん?』
「ちょっとドジってしまって、腕、ぶつけちゃって」
『え?!……あっ、大丈夫なの?』

そっちだったか、と一瞬思ってから、はっと我に返る。
ひどく言い難そうにいうリカに、問いかけた。

「あ、うん。全然!大したことなくて、ちょっと念のため湿布張ってますけど」
『そ……か。気を付けてよ』
「うん。ごめんなさい。ほんと、ちょっとドジっちゃって。心配、かけちゃうかなと思って言いづらくて……」
『言ってくれない方が困るよ。かえって心配になる』

―― ほら。どっちにしても心配をかけたくないから知られたくなかったのに

ため息をついたリカは、とにかく違う話題へと話を切り替えた。

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