ブーケとブートニア5

笑いながら、後に続いて部屋に入った空井は着替えだけを放り込んだバックを置いて、ひとまず手を洗った。休憩を入れずにぶっ飛ばしてきたのだ。

「もう……。びっくりした」
「うん。びっくりさせようと思ったわけじゃないんだけど。朝から掃除とかしてて、あー、リカに会わない休みって何してたんだっけって思って……。そう言えばってリカの家まで地図見てたら行きたくなってきちゃって、車だったら、日曜の夜中に出ても帰ってこれるしいいかなとか、高速の割引があるのとか見つけたらもういてもたってもいられなくなって」

手近なTシャツを上から着たリカが改めて空井に抱きついた。

「もう!驚いた!」
「ごめん。駄目だった?」

鍵はとうの昔に渡してあった。だから、ここにくれば空井はいくらでもリカの部屋に入ることができる。
とはいえ、リカがいればドアロックだってかかっているし、少し時間がずれていれば風呂に入っていて出られなかったかもしれない。リカを抱き留めた空井は、まだ髪が濡れたままのリカの首筋に顔を寄せた。

「……嘘みたい」
「嘘じゃないよ。やっぱり会いたくて来たんだよ」
「……うん」

しばらく、互いに離れ難くて部屋の真ん中でギュッと抱き合って動けない。空井の方が、理性を総動員して先に体を離した。

「風邪ひいちゃうよ」
「だって……、さっきお風呂からでたばっかりなんだもん」
「うん。まだ髪が濡れてる。だから乾かさないと」

うん、と互いに繰り返しながらなかなか離れられない。ああ、もう!と言って、ひょいっとリカを抱き上げた空井がソファの上にリカを座らせた。

「俺もお風呂、借りるからその間に乾かしてて」

くしゃっとリカの髪の毛をかきまぜた空井は、着替えを手にして風呂に向かった。表を歩いたわけではないが、エアコンの効いた車の中とはいえ、気が付けばしっとりと汗をかいていた。

「でたら、指輪の話、聞かせて?」

服を脱ぎながらリカにそういうと、空井は風呂の中に消えていった。
ドライヤーを手にしてざっと乾かしたリカは、予想外の空井の登場に、まだ落ち着かない。どれだけ自分につっこんでも、今日は会えないはずだった空井が部屋にいると思うと、嬉しくて顔が緩んでしまう。

慌てて、冷蔵庫の中を見て、何かつまみになりそうなもの、と見繕う。空井が来ないとわかっていたので、ろくなものがない。
内心で深く詫びながら、サラミとチーズときゅうりをスライスしたものをなんとか見栄えよくさらに並べてビールグラスを用意した。

「何もしなくていいよ」
「わっ。……早っ」

バスルームのドアを開けた空井が慌てて何か、と動いているリカに声をかける。飛び上がったリカは危うく倒しそうになったグラスを持ちなおして、テーブルに運ぶ。
まさに、飲み屋かバーのようなテーブルに我ながらがっかりするが仕方がない。

「ごめんなさい。今日は何も買ってきてなくて……」
「全然かまわないけど、ほんと、リカってその時食べるものしか買わないよね」
「う……だって。いつ何があるかわかんないし、今でこそ情報局はあんまり突発の事って少ないけど、出張とかもあるし……」

はいはい、と頷いて、濡れた髪をタオルで拭いながらテーブルの傍に腰を下ろした空井は、かしっとビールの缶を開けた。先にリカのグラスに注ぐ。

「わかってるけどね。あんまり料理も好きじゃないでしょ」

珍しく突っ込んでそういうと、リカは眉間に皺を寄せて視線を逸らした。

「得意じゃないだけです!……なんていうか、下ごしらえをしながら後片付けもしながら次の事をしなくちゃいけないじゃないですか。それが……苦手なんです」
「ああ!なるほど。確かにそれは慣れかな。僕らはすべてやることの手順が決まってるから自然に動いちゃうけど」
「もちろん、私だって必要ですからやるんですけど……。片付けるのが後になっちゃったり、他の事始めちゃって焦がしちゃったりとか……」

ああ、と思わず頷いてしまう。カレーやシチューのような一品、煮込みものでないとそれは確かにそれは考えられる。
日頃の仕事では段取りよく進めている彼女の意外な一面を可愛いなぁと思いながら、ビールを傾けた。

「それに俺達は仕事ではレシピがあるんだよ」
「レシピ?」
「そ。味噌汁とかご飯にしてもそうだし、基本的なものと地域によるものに分かれてる」

全国共通ではあるが、その土地によって出汁が違ったり、具が変わったりする。
だから、今の空井の味は宮城の味ということになるのだ。

「ちゃんと役割は決まってるんだけど、俺なんかは広報だから色々ね」

あの震災の時に、陸自だけでなく、空自も炊き出しを行っている。その時、少しでも食べる人がほっとできるよう、栄養面だけでなく、その土地の味に近づけるように努めた。

「もちろん、地元の栄養士さんとか調理師さんたちにも協力してもらったんだけど、離島とかにそういう方たちを連れて行くのは出来ないから事前に、どんな味なのか教えてもらったりするんだよ」
「そんなことまで?」
「うん。だから、向こうでは仙台味噌とか田舎味噌を使う、とか宮城とか山形は芋煮とかが有名だから豚汁を似せてみたりとか」

へぇ、と聞きながら思わずメモを取りたくなる。
相変わらず奥が深いと思いながら我が身を振り返ると、どうしても料理にはそこまでの熱意をかけられない自分を恥じてしまう。生きる上で最低限必要ではあるが、リカの料理にかかる時間と空井の時間ではかなりの格差があった。

「まあ、気にしなくていいんじゃない?人それぞれ、やり方って違うしさ」
「う。そう言っていただけると……救われるけど、やっぱり駄目だよね。善処します」

意気込んでいてもビールを手にサラミをつまんでいるところがリカらしい。

「あ、そうだ。これ」

リカが体を捻って仕事用の机の上から小さなパンフレットを手にした。

「これがいいかなって」

ぱらっと開いた空井はうん、と頷いた。デザイン的にもシンプルであまり日常的につけていても違和感がなさそうだ。
その中でも直線ではないものをリカが覗き込む。

「これ、レディースはどれも皆似たような感じだけど、この曲線がいいかなと思ったんです」

―― 飛行機雲みたいで

「飛行機雲みたいで?」
「もう!考えてること先に言わないで」

あはは、と笑いながらも空井は隅々まで面白そうに目を通していた。

「へぇ。ブーケってそういう意味なんだ。しかも、俺、男もつけるなんて知らなかった!」
「ああ。男性の胸にね。でも着るものによっても違うんじゃないかな」

内側にブーケとブートニアを掘り込んで、バラ色の石。
お互いの名前や日付を掘るらしいのことも知らなかった空井は、へえ、とかふうん、と頷いている。

「なんか俺、知らなかったことが多い」
「そんなの一緒です。一応、内側に名前を入れるくらいは知ってましたけど、ほんとに色々なんですよねぇ」
「ん。俺はリカがよければこれがいいな。婚約指輪もいらないって言われたけど、これならダイヤついてるんだよね?」

別に石がついている、ない、ではないのだが、男として何かを贈りたいという気持ちなのだろう。
じゃあ、これにしますか、などといいながらリカがもう一度、パンフレットに見入っていると、その間にトイレに立った空井が部屋の向こうから声をかけてきた。

「……この花束、どうしたの」
「あ、それ。この前、藤枝に貰ったんです。なんか、お祝いしてなかったからって。なんだかよくわかんないけど、これも今日、部屋に花くらい飾れってもらって……」

机の上に置いてあるカップに生けられた花をみながら、ぺたりとテーブルの前に座っていたリカには見えていなかった。
その吊るされた花束を見ていた空井の顔が。
たまたまトイレに立った空井の目に、吊るされた花束が目に入った。
もうだいぶ、かさかさになりかけていたが、もとはそれなりに大きなものだったろう。先週来た時にはなかったそれを何気なく見ていた空井は、あるものに気が付いた。

きっと、こうして吊るす前にはボリュームがあって気づかなかったのだろうが、幾重にも折られたリボンで作られたボンボンに重なる様に、色違いのリボンが付けられていた。
何か文字が書いてあるリボンの真ん中にピンク色のハート形の石が付いた指輪が結び付けられている。

―― !

「……この花束、どうしたの」
「あ、それ。この前、藤枝に貰ったの。なんか、お祝いしてなかったからって。なんだかよくわかんないけど、これも今日、部屋に花くらい飾れってもらって……」

頭のてっぺんから血の気が引きそうだった。
いや、実際、引いたのかもしれない。冷静になろうと思いながら、無意識にそのリボンを外して指輪ごと手の中に握りこんだ。

―― 藤枝さん?

考えなければと思ったが、何をどう考えればいいのかわからなくて、呆然としてしまう。

「大祐さん?」
「あ。うん」

生返事を返して、とにかく、冷静にならねばと自分に言い聞かせる。
リカの傍に戻りつつ、着替えを持ってきた鞄に手を突っ込んで、それを隠した。

「どうかした?」

そこに立っていたはずなのに、なかなか戻ってこなかった空井を気にしてリカが顔を上げた。
こんな時、1LDKでは逃げ場もない。

ぎこちなく笑みを浮かべていや、と再び腰を下ろした。今更のようにテーブルの上に置いてあった花にもようやく気付く。
そういえば、さっきリカがこれも藤枝に貰ったと言っていなかったか?

「この花、今日貰ったの?」
「あ、うん。実は、なかなか女一人でジュエリーショップのこういうコーナーってなんだか行きづらいなって話をしてたら、局で珠輝や藤枝に怒られちゃったんです。実物見ないとわからないだろうって。それで、たまたま時間があるからって藤枝が付き合ってくれて……。あ!でも、ちゃんとお店の人にも、彼氏が遠距離で忙しいから代わりに付き添ってもらってるだけですって言ってきたから!」

強張っている空井の顔を見て、途中からリカが必死に説明を始めた。他意などないのだと、いつも仕事帰りに飲みに行くようなもので、藤枝も女の子に贈るもので見慣れているから自分よりよほど詳しい事、男性目線のアドバイスが欲しかったことなど、懸命に言うリカを見ていれば、それが本当だということもわかる。

―― でもいくらなんでも、自分との結婚指輪を探しにほかの男と行きますか?!

黙り込んだ空井に、慌てたリカは唇を噛み締めて座りなおすと、フローリングに手をついて頭を下げた。

「ごめんなさい。少し考えればわかることだったのに、今週は会えないとか、色々考えてたらぐるぐるしてきちゃって、あんまり余計な事考えないようにしようって……」

ぺこり。
無神経だったと頭を下げて謝るリカにはこれっぽっちも、陰りがない。藤枝にどういう意図があってもリカにはそんなことは全くなさそうだったし、気づいてさえいないのかもしれない。
そう思った瞬間、溢れそうだった苛立ちともやもやが一気に落ち着いた。

「いいよ。ごめん。俺が本当だったら一緒に回るべきだったんだし。でも、次は一言、言って?」
「……ごめんなさい」
「いいって。それより、何をそんなに考えてたの」

無理矢理、話をそこから引き離した。そうしなければならない気がして。

「何って……別に」
「だってぐるぐるしてたんでしょう?教えて」

今度はうっと言葉に詰まったリカが、眉間に皺を寄せた。ふわふわと好きな気持ちだけで結婚ができると思えるほどお互いに若くはない。

えい、と心を決めたリカが立ち上がって、チェストの中から通帳を一冊持ってくる。

「これ」
「ん?」

『稲葉リカ様』

と書かれた通帳を思わず受け取ってしまう。さすがに中を開けるのは躊躇われているとあけて、と言われてしまう。

「いいからあけて」
「……うん」

ぱらっとめくると、そこそこの金額の貯蓄と、月のおおよその給料がわかる。出し入れも何となくリカらしいと思う。ある程度まとめて引き出してほとんどはそれでやりくりしているらしい。

「指輪の……相場とか、範囲が広くて大祐さんがどう思ってるのかとかそういえば聞いてなかったなって思って。急に勝手に、1週あけようとか言ったし、私、ほんとに勝手なことばっかり言ってないかなって……」
「リカが?」

こく、と頷いたリカがだんだん俯いていくのを見ながら首をひねる。空井には、今一つよくわからない。
と、リカが机の上に手をついてぺたりと顔を伏せてしまった。

「……本当は、それ。別に普段、仕事に出かけたりするのに困らなければ全部使ってもいいから、……あ、会いに行きたいなって思ってて。でも、そんなのいい年の大人がすることじゃないし馬鹿だなって十分わかってるんだけど、せめてもう少し、気持ちが落ち着くまではもっと会いたいって勝手に思って」

一生懸命、早口になったリカがそういうのを見て、可愛い、愛おしいと思うのに、空井の胸の内にはさっきの見つけてはいけないものがじわじわとその幸福感を侵食していく。

可愛いと思えば思うほど、愛しいと思えば思うほど、反対側の苛立つ感情も同じくらい膨れ上がって、空井は見たくないものから目を逸らした。

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